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ヨーゼフの眼鏡
日比野純一がアレコレ気侭に綴ります
命のビザ
イスラエルの名誉領事館が神戸に開設されました。 祝賀パーティーには東京の大使館から大使や領事も来ていました。エルサレム訪問の準備で少しお世話になった広報参事官のバースさんも来ていて、「私にとって神戸は特別な思いのある場所なんです」と、こんな話をしてくれました。

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ナチスドイツによる迫害でポーランドからリトアニアに逃れた六千人とも八千人ともいわれる同胞(ユダヤ人)が、在リトアニア日本領事館の杉原千畝さんから通過ビザを発給してもらったことで、シベリアを鉄道で横断し極東の町ウラジオストクに着くことができました。そして、さらにそこから日本海を渡って敦賀に上陸し、最終的に辿り着いたのが当時、ロシア系ユダヤ人コミュニティがあった神戸でした。 日本に赴任して、神戸と敦賀は何としても行ってみたかった場所でした。パーティーの後に敦賀にも向かいます。今日はとても感慨深い日です。

六十余年の時を経ても「命のビザ」は、輝いていました。

テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記

エルサレムから再びアンマンへ
今日は、エルサレムあらアンマンに戻り、そして空路でドバイ経由で関空に帰る長い一日です。

朝7時半にミニバスは東エルサレムの乗り場から国境に向けて出発。10人のほどの乗客は僕の除いてみなパセスチナ人です。途中の道は、かつてイスラエルとヨルダンが何度も戦争をしたところで、今も警備がものものしく、何度かバスを止められパスポートをチェックされました。

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車窓から見える、朝日に照らされてキラキラ輝く死海がとてもきれいです。

出国手続きに1時間ほどかかり、バスを乗り換えて両国の緩衝地帯をゆっくり進みます。途中のゲートでヨルダン側から来たパレスチナ人の専用バスが 止めれていて、乗客の荷物が道に放り投げられ検査をされていました。なんかパレスチナ人がとても粗末に扱われている気がしました。

ヨルダン川を越えるとヨルダン領に入ります。入国の手続きはわずか10分足らず。国境検査所の外に出ると、あのアジアの雑然とした国境の町がそこにありました。タクシードライバーがにこっと笑って、「ヨルダンにようこそ♪」と話しかけてきます。
 
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ヨルダンに戻って、エルサレムでの違和感にはじめて気がつきました。この明るさがエルサレムの人々には欠けていたのです。

イスラエルとヨルダンは1994年の戦争状態終結宣言が出されてから国境が開き、現在三つの国境検問所が設けられています。今回渡ったのは実は非 公式の国境で、ヨルダン川西岸のパレスチナ人暫定自治区に住む人々がヨルダンに行くために開いているのですが、問題なく往復することができました。

国境を越えて。なんとも表現しにくい緊張感から解放された気がしました。

しかし、ヨルダンに(やむなく)移住してきたパレスチナ人がヨルダン川西岸に渡ることはとても難しくて、アンマンのイスラエル大使館に許可ももらいに毎日百人以上が並んでも、許可が下りるのはせいぜい三、四人だけだそうです。

国境ってなんだろう、それを深く考えさせられました。


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エルサレムの旧市街地
エルサレムに着いて二日目です。

7時に起きて、動き出す前の旧市街地を歩いてまわりました。

 

一キロ四方の城壁で囲まれている旧市街地は、ユダヤ人地区とムスリム(パレスチナ人)地区とアルメニア人地区とキリスト教徒地区の4つの地区に分かれていて、とくにパレスチナ人地区と他の地区はまちの様子が異なります。当たり前なのですが、パレスチナ人地区は他のアラブ諸国の町のように雑然とした賑わいがあり、他の地区は欧州の田舎町のようです。

 

旧市街地の市場は、そのすべての人達が買い物に来ていて、それに世界各地からの巡礼者が加わり、見かけもも言葉も多種多様です。


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しかし、まちのいたるところに機関銃を持った兵士が歩いていて、一見、平和そうに見えるこの町の暗部を垣間みることができます。青い建物に金色のドームで有名な「岩のドーム」は2001年にシャロン首相が就任してからはムスリム以外は入れなくなり、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」に行くには、身体と持ち物チェックがあります。


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散策の跡に、パレスチナ人居住区の東エルサレムにある、Palestinian Broadcastingというコミュニティラジオ局を訪ねるために、ホテルから電話をしました。しかし、二度電話をしても違うところにかかってしまいました。ラジオ局がある住所をツーリストインフォメーションで聞いたら「どこにあるのかわからない」といいます。インフォメーションのスタッフはイスラエル人なので、パレスチナ人が経営しているホテルで訪ねると、すぐにわかりました。


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旧市街地からダマスカス門を抜けて東エルサレムに入り、10分ほどのところに、所在地に着きました。しかし、スタジオ跡らしき建物があるだけで、なかで掃除をしていた女性に尋ねても英語がまったく通じませんでした。近所の何軒かの店で聞いてみると、ラビン首相の頃に数年前のシャロン首相の時に、イスラエル政府がパレスチナ人のための放送を禁止し、Palestinian Broadcastingも免許を剥奪されてしまったそうです。どうりで電話をしても別の人が出るわけです。どうりでAMARCカンファレンスに参加していないはずです。

 

パレスチナ人の出入国はイスラエル政府に厳しくコントロールされていて、仮に彼らがラジオ局を運営していても、いまの政治的な状況下では、アンマンには行けなかったでしょう。

 

しかし、せっかくここまで来たのに、、、、。



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across the border

AMARCカンファレンスが終わり、アンマンから陸路でエルサレムに来ました。アンマンを出たのは朝の7時でエルサレムに着いたのは昼前です。
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アンマンから国境まではタクシーで一時間ほど。ドライバーはあのイラク人質事件の高遠さんを乗せたアブ・サレムさん。海抜マイナス400メートルまで土漠をひたすら下っていきます。

気温も徐々に上昇し、死海の近くにまでくると半袖で十分なくらいです。ちょっと信ずられないと思いますが、オレンジ畑やバナナ畑があちこちにあるヨルダン渓谷をとおり、ヨルダン川にかかるキングフセイン橋がイスラエルとの国境です。
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日本のイスラエル大使館で水戸黄門の印籠のようなレターを出発前に発行してもらっていたので、思ったよりはイージーに出入国ができましたが、それでもいろいろなチェックで1時間半以上はかかりました。

国境からエルサレムまではミニバスで一時間ほど。土漠の軍事エリアを西へ西へと走ります。

パレスチナ人居住区の東エルサレムと旧市街地の間のダマスカス門の近くでバスを降り、少しまちを散策した後にホテルにつきました。ホテルは歴史的な教会やモスクなどがたくさんある旧市街地の真ん中にあります。
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今日はユダヤ教の安息日の土曜日です。旧市街地はたくさんの人で賑わっています。イスラエル人、パレスチナ人に加えて、世界各地からの巡礼者で一杯です。

明日は、東エルサレムにあるパレスチナ人達のコミュニティラジオ局を訪ねます。


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世界と日本の温度差
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こんにちは、日比野です。

AMARCカンファレンスの6日目は、次の4年間の活動計画とインターナショナル理事を決める会員総会が行われました。

朝の9時半から、なんと晩8時半まで。途中、何回かのブレークがあったものの、みんなスゴイ体力と気力です。

質問や意見表明が次から次へと続きます。

この日ばかりは各地域の政治的な思惑が交錯します。コミュニティラジオの発祥の地である
ラテンアメリカ勢の勢いがすごくて、他の地域は圧倒されがちです。

総会の途中に悲しいニュースが入ってきました。

フィリピンのメンバーから、自国で仲間が殺害されたとの報告が入りました。
彼は貧しい地域にあるコミュニティラジオ局で貧困の克服、表現の自由のための活動をしてきて
これまでも反対勢力に何度も襲撃されました。AMARCも非難声明を出していましたが最悪の結果となってしまいました。

一方、嬉しいニュースもありました。
インドでコミュニティラジオを認める法律が国会で成立したという報告が入り会場は大きな大きな歓喜の渦に包まれました。

十数年前に日本で同じ法律ができたときに、果たしてこれほど市民が喜びの中にあったでしょうか。

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ガーナの女性から

市民がコミュニティラジオを手に入れるためのハードな活動と手に入れたときの喜びについて話を伺いました。その喜びは、表現の自由を市民が手に入れた喜びそのものでした。
日本にはコミュニティラジオはどのくらいあるの? どんな放送をしているの? と何人にも尋ねられますが、答えに窮してしまう毎日です。
イラクから パプアニューギニアから
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AMARC世界大会の参加者の6割以上は途上国や紛争国から来ています。

上の写真は、イラクの北部のクルド人居住地域から参加したファラハさん。彼が活動しているのは、18年前にサダム・フセインが生物兵器で数十万人を殺した地域です。ドイツのNGOの現地スタッフとして、ダンゲヌーラジオという女性と子どものためのコミュニティラジオで教育、保健などの番組を放送しています。

イラク戦争の直前に奥さんと息子さんをレバノンに、お嬢さんをヨルダンにそれぞれ避難させ、家族と離れて同胞のクルド人の生活向上に取り組んでいます。

お嬢さんは学校でジャーナリズムを学んでいるそうで、それを嬉しそうに語る彼の笑顔がとてもナイスでした。

日本のこともよく知っていて、NGOのピースウインズジャパンとも医療プロジェクトで一緒に活動したことがあるそうです。

数年前に日本政府に難民申請を拒否され、国連大学の前で抗議の焼身自殺を図ろうとしたクルド人のことも詳しく知っていました。

でも、その割には、やはりジャッキーチェンを日本人だと思っています(笑)

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上の写真の青い服を来ているのが、パプアニューギニアから来たステンリーさん。今日のアジア・太平洋地域のミーティングで、新しい国際理事として彼を送り出すことになりました。

世界110カ国、5000を超えるコミュニティラジオ局が参加している国際NGOのAMARCの理事の仕事をするには、何といってもインターネットが不可欠です。

しかし彼の住む村には、テレビもインターネットもありません。彼がインターネットにアクセスするには、ネットカフェのある一番近い町まで出かけていかねばなりません。AMARCに参加しているメンバーの半分近くは彼と同じような環境にあります。

「こんな環境にいる私ですが、貧困の克服に向けて活動している、ここに集う同じ境遇にある多くの仲間達のために尽力したいので、理事として送り出してください」という立候補表明を聞いて、ほろりときてしまいました。

ところで、今日はFMわぃわぃの活動のプレゼンをしました。上映したビデオがよかったからか、「なんていいまちづくりをしているコミュニティラジオなんだ!」と多くの人が高い評価をしてくれました。そしてDVDのコピーがほしいとも(笑)


アンマンに来て6日が過ぎ、相変わらずホテルと会議場と全員でバスに乗って行くレストランの三角移動だけの日々が続いています。


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先住民のコミュニティラジオ
AMARCカンファレンス4日目が終わりました。

インドネシアとバングラディッシュから来た仲間達と「今日は午後のワークショップを抜け出して死海にいこう♪」と画策をしていたのですが、夕方か らアジア太平洋地域ミーティングが入ってしまい、いつもの通り、朝8時から晩の8時まで会場に缶詰でした。(下の写真は会場6階からのアンマンの町の景色 です)

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このままでは、せっかくヨルダンまで来たのに死海やペトラ遺跡には行けそうにないかも。。。なんとかしないとな〜


さて、
FMわぃわぃは今年4月から日本の先住民アイヌ民族の唯一のラジオ局のプログラムを毎月1回放送をしていますが、AMARCカンファレンスにも世界各地から先住民のラジオ局のスタッフが来ています。

下の写真の左側の青年は米国ワシントン州の先住民ラジオ局のDJ。右側は女性はカナダの北部のアボリジニーラジオ局で民族音楽の番組を制作し ています。アボリジーの子ども達も番組づくりに参加していて、番組づくりとは別にアボリジニーの音楽や踊りを子ども達に教えているそうです。

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FMわぃわぃでアイヌ民族の番組を放送していることやTCCのRe:Cの活動いついて話すと、あれこれ質問攻めにあってしまい、しまいには、ラジオ番組用のインタビューにも応じるはめになってしまいました(^^;

この二人が、カンファレンス2日目のオープニングに際して、ネイティブアメリカンの伝統的な幸福の祈りを参加者全員に捧げてくれました。

下の写真の女性は、ボリビアのラパスでコミュニティラジオをつかって女性と子どものエンパワーメントに取り組んでます。彼女はアイマラ語とスペイ ン語を話し、ワールドキッズコミュニティのロクサナさん達がラジオ放送とラテン女性のための雑誌ムヘルラティーナを神戸で発行していると話すと、活動の資 料をたくさんくれました。
 
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コミュニティラジオは、ボリビアの鉱山で過酷な労働を強いられていた先住民の労働者が団結(ネットワーク)のツールとしてラジオをはじめたのが起源だと言われているそうです。


とにかくできるだけ多くの参加者と話をすることにしています。ワークショップや食事のときに隣に座った人はもとより、向こうからも声をかけてもらうように、機会を伺っては、発言&質問をして、自らの存在をアピール!

しかし聞いてはいたものの、質疑応答の時間の発言者の多いことにはビックリです。

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オリンピックみたい
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AMARCカンファレンスも今日で3日目が終わりました。朝8時半から晩の8時までミーティング、パネルディスカッション、ワークショップ、総会と盛りだくさんの一日でした。

全体ミーティングに先立って、参加国・地域の紹介がありました。アルファベット順に国名・地域名が読み上げられると、参加者が立ち上がって歓声と拍手に包まれます。なんかオリンピックの入場行進みたいで、とてもエキサイティングでした。イラクやアフガニスタン、東チモールなどの紛争(または紛争が終結したばかりの)国の時は、ひときわ大きな盛り上がりをみせます。

それぞれの地域柄がよく出ていて、ラテンアメリカ勢の席のにぎやかなこと。そしてアフリカ勢は立ち上がって軽くダンスを踊ります。

総会では、FMわぃわぃの加盟が正式に認められ、議長に「レディオ エフエムワイワイ ジャパ〜ン!」と呼ばれたときは、ちょっとした感動もんでした。

総会終了後は政府の招待で高級レストランに全員で移動。ライブステージを聞きながらヨルダン料理を楽しんでいたのですが、いつのまにか女性の歌手(左写真の女性)の唄をバックに、クラブのようになってしまいました。アフリカ、アラブ、アジア・太平洋、南北アメリカ、そしてヨーロッパからの面々が一緒にアラブ音楽にのって踊りまくりです。

僕も、8年ぶりにコサック風ダンスを披露したところ、「英語よりダンスの方がずっとうまいな♪、な〜んて言われてしまいました(笑)

あ〜楽しかった。明日は8時から地域ミーティングです。

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Radio for community, not for business
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アンマンに着いて3日目、AMARCカンファレンス2日目が終わりました。

決して英語だけが共通語でないカンファレンスなので、多くの人に伝えたいこと、聞きたいことがある私は、ほんのちょっとのスペイン語で中南米の人達と話しています。聞きたいポイントがある程度は定まっているのでブロークンでも何とかなってしまうものです。

少しだけ勉強したスペイン語が役にたっています。

でもフランス語を話す西アフリカの人達や、アラビア語を話す北アフリカ、西アジアの人達とコミュニケーションを交わすのにとても苦労しています。

会議は同時通訳が入っていますが、それ以外の時間になかなか実がある交流ができるので恥ずかしいと言ってはいられません。なんせ時間は限られていますので。


たとえば、、、

多民族国家インドネシアで共生のまちづくりに取り組むラジオ局

南アで貧困解消やDV防止、地域再生を担うNGOによるラジオ局

アフガニスタンで復興のまちづくりに貢献するためのコミュニティラジオ局で放送に従事する女性

テレビも電話もないパプアニューギニアの町で唯一のメディアとして地域の住民が支えるラジオ局

HIV対策のためにコミュニティ単位でラジオを活用したいと勧化て要るジンバブエの女性達

こんな人達と互いの活動について話ができました。

どのラジオ局も、コミュニティに活動のベースをおいていて、日本でいえばFMYYと似ているというより、おる意味ではそれよりもずっと強い意志を持って活動をしていて、俗にいうメディア屋はここにはまったくいません。

自らの地域社会を、コミュニティを、何とかしてより良いものにしていくために、コミュニティラジオを活用、または活用したいと思っている人達です。

アフリカには内戦でコミュニティが様々なかたちで崩壊している地域がたくさんあり、その再生のためにラジオを活用していきたいと考えている人が、なんと多くいることでしょう。

日本でいうと、NGOがWEBサイトやメーリングリストを活動に活かしているのに似ている感じがしました。

一概に日本と比べることはできませんが、日本のコミュニティ放送局の多くは、ローカルラジオ局に名前を変えた方が正しいかもしれません。ユネスコが定義するコミュニティラジオ局の基準を満たすのは、果たしてどのくらいあるのでしょうか。

写真は、左がフィリピンで女性のエンパワーメントを目的にコミュニティ放送をしているグエンさん、右がコミュニティラジオが禁止されているビルマで山岳少数民族のメディアグループを組織しているソンさん。





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AMARC大会初日
世界コミュニティラジオ放送連盟(AMARC)の第9回大会が始まりました。

8時半にヨルダン政府が用意したバスに乗って国際会議場に向かい、アラブの民族音楽の生演奏に迎えられてオープニングセレモニーが始まりました。

コミュニティラジオに携わる人達が世界の数十カ国から三百人近くが集まる大きなカンファレンスだけあって、首相の代理で官房長官の歓迎挨拶で幕を開けました。

そこからは、アラビア語、英語、フランス語、スペイン語によるスピーチとパネル討議の連続。同時通訳が入っているものの、通訳者によってはアラブ語訛が強くて慣れるまで時間がかかりましたが、特に初日はヨルダンをはじめ中東のコミュニティメディアが表現の自由、平和な社会づくり、人権擁護、 女性のメディアリテラシーの向上、社会的不公平の是正、貧困の解消にいかにチャレンジしているのか、いくつもの事例紹介がありました。

それぞれの地域、国での取り組みを聞かせてもらうだけで、感心の連続でした。

しかし、今日一日だけで何人/何カ国の人にあったかな。フィリピン、パプアニューギニア、インドネシア、タイ、ビルマ、ネパール、インド、スリランカ、パキスタン、バングラディッシュ、カナダ、コロンビア、アルゼンチン、ニカラグア、アイルランド、南アフリカ、ナイジェリア、ヨルダン、モロッコ、、、。

会議初日の終わりにアジア地域のメンバーが集まり、自己紹介と活動課題の抽出をし、その後は大会の参加者全員でディナーを楽しみ、ホテルに帰ってきたのは午後11時半。

三百人がほぼ一日一緒に行動するので、自然と打ち解けて行きます。
長い一日でしたが、明日も明後日もこんな調子みたいです

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ドバイ経由でアンマン着

先ほどドバイを経由してアンマンに着きました。


ドバイでは8時間のトランジットだったので出国して、妻の大学時代の友人で家電メーカーの現地法人社長を務めている方のお宅に世話になりました。


少し休んだ後に一時間ほど街を案内してもらったのですが、聞きしに勝るほどドバイはとってもセレブな街でした! いままだ訪れた世界の街の中で最もカネに溢れていました。21世紀半ばには世界の中心都市になりそうなくらい世界中からの投資と人が集まっていて、なんと人口の8割が外国人です。アラブ諸国はもとより、南インド、東南アジア、東アジア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、、、、ホントいろいろな人がこのまちにはいます。


そして、こんなゴージャスなショッピングモールは見たことない! というような世界中のブランド品、電気製品、食料品(もちろん酒も)などありとあらゆるものがそろっているマーケットは建物のつくりも贅沢で、オイルマネーの威力を実感してしまいました。さらに巨大な人口スキー場に一泊10万円は下らない超高級(七つ星!?)ホテル。


原油高がもたらした超好景気な街がドバイから、イラクとサウジアラビアの国境に沿って飛行機で3時間半ほどでヨルダンの首都アンマンに着きました。空港からタクシーに乗らず、ローカルバスに揺られて30分ほどで市街地に。 ヨルダンは産油国ではないので未来都市ドバイとは雲泥の差の街並みですが、とても人間臭さに溢れていて、パキスタンやイランに来たときに似た感じです。


明日から一週間、英語での会議づけです。


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