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| プロフィール |
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- Author:hibijun
- 神戸在住です。仕事場はNPO/コミュニティ放送局。たまに女子大で先生もしています。
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| 初夏の夜空 |
さっき縁側に腰掛けて漁火をぼんやり眺めながら、夜空に目線を上げていくと、さそり座がきれいに輝いていた。
もうすぐ夏だなあ。 テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記
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| 萱野茂さんの訃報に接して |
萱野茂さんの悲報が札幌の友人から届いた。いつもドライな語り口の彼女の声が悲しみで潤んでいた。私は3年半前、彼女に連れられて二風谷こども図書館を訪れた。日本で唯一のアイヌによるアイヌ語のラジオ局・FMピパウシの放送を見学するためだ。
萱野茂さんがマイクに向かってアイヌ語を話している姿は、昨日のことのように記憶に鮮明だ。放送終了後にはアイヌ料理の昼食におよばれし、「たくさん食べれ〜」と鮭料理や黍餅をたらふく食べさせてもらった上に、お土産まで持たせてくれたことが、唯一の茂さんとの思い出だ。
2001年4月に放送を始めたFMピパウシを神戸新聞の記事で知った私は、何かお手伝いできないだろうかとピパウシに電話をした。茂さんの息子さんで編成局長の萱野志朗さんと話ができ、それからメールでの交流が始まり、翌2002年の11月にその後、FMわぃわぃのスタッフになる若者と二人で二風谷を訪れる機会に恵まれた。
二風谷へと私たちを案内してくれた彼女とは、妻を通じて2000年2月に札幌で初めて会った。たかとりコミュニティセンターのようなコミュニティ放送局がある市民活動センターを札幌でつくろうと汗を流していたときだった。
ところが彼女は自分の夢を叶える前に、別の大きな仕事を仲間と二人で進めていた。それは、萱野茂さんの夢の一つであるアイヌのラジオ局をつくることの手伝いだった。機材調達から放送システムづくり、番組の作り方までの、まさにラジオのイロハを萱野さん達に時間をかけてゆっくりと確実に伝えていた。
彼女達が札幌でコミュニティ放送局を立ち上げたには、FMピパウシの開局からちょうど2年後の春だった。二風谷でしか聴くことのできなかったFMピパウシの放送を札幌でもオンエアした。その時の喜びに満ちた彼女の声を、今でも覚えている。
それから3年が経ち、彼女達はいま札幌のコミュニティ放送局にはいない。断腸の想いで局を後にしたと聞いた。そしてFMピパウシの中継放送もこの春で終わってしまった。
でもFMピパウシは途切れることなく毎月一回の放送を続けており、FMわぃわぃでピパウシの中継放送がこの4月から始まった。そう、彼女達のサポートのもとで。
亡くなった萱野茂さんの遺志を継いで萱野志朗さん達がつくる番組を、より多くの人々に放送していくお手伝いを、これからも彼女達と一緒に続けていく。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
******************************************************************************** 次のFMピパウシの放送は5月14日(日)11時から正午まで。FMわぃわぃの電波/インターネット放送を通して聴いてください。生前の萱野茂さんの放送やゆかりのある方々の追悼の声をお伝えする予定です。 ********************************************************************************
以下は市民活動センター神戸の会報「みみずく」05年1月号に掲載された拙文です。
毎月1時間だけ放送をする小さなラジオ局が北海道にある。日高管内平取町二風谷の一部地域を放送エリアとするアイヌ語と日本語によるミニFM放送局「FM ピパウシ」だ。ピパウシとはアイヌ語で「貝のあるところ」という意味で、このラジオ局がある平取町二風谷の古い地名からつけられた。
FMピパウシの放送は、毎月第2日曜日の午前11時から正午までの1時間、二風谷こども図書館の中の臨時スタジオから放送される。臨時スタジオといっても、机を移動してその上に放送用機材を並べるだけの実に簡単なものだ。
アイヌ民謡「ヤイト゜レンペコイキ」をバックにアイヌ語による「おはようございます」の挨拶で放送は始まる。ユーカラ(アイヌ民族の叙事詩)のCD案内やひとくち会話、早口ことばグランプリなど、アイヌ語関連の企画を満載し、日本語で解説しながら地域のニュースも伝える。
「アイヌ語が生きた言葉としてよみがえるように」。アイヌ初の国会議員で二風谷アイヌ資料館館長の萱野茂さんの一途な願いから、2001年4月8日にFM ピパウシは誕生した。アイヌ語を母語として育った最も若い世代に属する萱野さんは20年ほど前、話す人が減り、消えつつあったアイヌ語を後世に残そうと、二風谷で道内初のアイヌ語教室を開いた。その後、教室は道内十数カ所に広がったが、若者に普及しないことから「アイヌ民族自身によるラジオ放送を実現したい」と切望していたという。
アイヌは日本列島北部、かつては主に北海道中心に、サハリン(樺太)、千島(クリール)列島、東北地方にも居住し、独自の言語と文化をもつ日本の先住民であった。
それが数百年前から北上する松前藩や商人などによる横暴や搾取、そして明治時代になってからは日本政府による徹底した同化政策の下で、アイヌ伝来の生活形態、言語など固有の慣習、伝統文化は根底から破壊され、人口も数万人に激減してしまった。苦しい生活を強いられるとともに、いわれない多くの差別を受けてきた。
現在、文化の中核をなすアイヌ語を理解し継承しているアイヌは大変少なく、アイヌ語を母語として話す人は平均年齢がすでに80歳を超え、数も10人以下になっている。数百年におよぶ和人の侵略と差別によって「アイヌ語の消滅危惧のレベルは『消滅の危機に厳しくさらされる言語』以上に厳しい」といわれるまでになってしまった。
この悲しみに耐えきれず、民族文化の継承に立ち上がった萱野茂さんが有志とともに開局したのが母語(アイヌ語)によるラジオ放送「FMピパウシ」だ。
二風谷だけの一部地域にしか電波が届かなったFMピパウシの放送は開局からちょうど2年がたった2003年4月から、札幌にも届けられることになった。 FMピパウシの立ち上げ支援をしたメンバーが中心になってコミュニティ放送局「さっぽろ村ラジオ」が設立され、開局と同時にFMピパウシの放送の同時中継を開始した。
さらに二風谷や札幌以外の地域でもピパウシの番組を聴くことができる。インターネット放送だ。萱野さん達の取り組みに地元の大学が協力をし、収録された番組は放送の翌日にはインターネットからで配信されている。
「失われていく自分の民族文化を生きたものとして残していきたい」という一人のアイヌの強い訴えに多くの人が共感、そして協力をして、アイヌ語の放送は瞬く間に世界中で聴くことができるようになった。大きなテレビ局やラジオ局ならいざしらず、市民の人と人のネットワークで成し遂げられるところに、市民社会という時代の流れをひしひしと実感することができるじざるを得ない。
「アイヌ民族が自由に意見を発表したり、言葉を学んだり、あるいは情報を共有したりする道具としてだけでなく、ラジオで聴いている地元の人、あるいはインターネットを通して聴いている世界中の人にアイヌ語、アイヌ文化、二風谷または平取町という地域の情報を伝えることで、アイヌ民族をはじめ先住民族、少数民族について理解を深めてしてもらい、そして放送を聴いている人達とつながっていきたい」
2002年11月にFMピパウシの放送を見学し番組終了後に編成局長の萱野史郎さんが語ってくれた言葉だ。 テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記
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| 庭の掃除 |
五月晴れのホント気持ちのいい休日だった。今年はずっと忙しかったので、休みの日にゆっくり家にいることができず、庭の草木の面倒もみてあげられないでいたので、昼から庭木の剪定と草むしり(関西では草引きというみたい)をした。
蓮花が咲き乱れていて、草むしりができないぞ
まだナンテンとマンリョウに赤い実が。例年より寒かったから?
ブルーベリーの花が一杯咲いてるから夏には美味しい実が♪
梅の木にいっぱい実が成ってる。梅酒と梅干しが楽しみだ
尺取り虫は梅の木の葉っぱが好きだな〜
今年のツツジはいつのより花が少ないかな
小手毬の白い花が満開。切り花にして食卓に飾ろうかな
オリーブは今年こそ花が咲いて実が成ってくれますように
枝垂れ椛がオリーブの枝に邪魔されてきたぞ〜
カミさんの実家からもらって来た蘭は今年も花が咲きそうだ
カイズカが隣の家まで伸びてしまっているぞ。少し切るか
こんな調子で庭作業を続けていたら、あっというまに夕方の6時に。なんかとっても気持ちのいい午後だったな〜
明日は六甲山に遊びに行くぞ!!
 テーマ:ブログ始めました。 - ジャンル:日記
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| 日中台の一致意見 |
ラジオ番組「華声」の収録のあとに、中国からの留学生と台湾からの留学生と中国に留学経験のある日本人と一緒にインド料理を食べながら、日中台の関係についてあれこれ話をした。下手な新聞やテレビより、ずっと刺激的かつ建設的な内容だった。
でも、なぜか最終的には「台湾料理はホント美味しい!(らしい)」が結論だった(笑)
中国からの留学生はまだ台湾に行ったことがないので「らしい」になっているのだが、中国でも台湾料理の美味しさはもっぱらの評判とのこと。
やはり食文化は政治を超える♪ あ〜台湾に行きたいよ〜! テーマ:日々のつれづれ - ジャンル:日記
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